中国の医療現場から日本に活動の場を変えてから30年を越える歳月が流れました。
これまで、推拿による治療と臨床中医推拿塾では治療家育成に励み、各地での講演、雑誌寄稿や著書を通じて日中医学交流に努めてまいりました。
推拿は多くの医療関係者を驚嘆させた程、その適応範囲は広く治療効果の高い療法です。
今後も笑顔を見せて帰る方が一人でも増える事を心から願っています。
推拿
所長
son iryo
私が推拿と初めて出会ったのは12歳の頃のことです。母がひどい不眠症で、後に私の師匠となる胡秀章先生の治療を受けていたことがきっかけでした。心身共に疲れ切って痩せ細ってしまった母を何とかして助けたいと思い、病院へ行って治療を受けさせたり中薬を飲ませたりと手を尽くしましたが、症状は一向に回復せず困り果てていた。そんな時に、手技だけで難病を治せる名医がいると言う噂を聞きつけ訪ねたことがありました。その名医こそが恩師の胡秀章先生であり、その療法が推拿だったのです。胡先生は遠方からも患者が詰め掛ける程に有名な内科推拿の医師で、胃潰瘍、慢性腎炎、婦人科系の病気など、さまざまな内科疾患の患者さんが訪ねていました。朝早くから並んでやっと診て貰えると言う人気ぶりだった。私は母の代わりに朝5時から並んで順番を待ち、何とか母は胡先生の診察を受ける事ができたものです。今でも鮮明に記憶に残っている胡先生の初対面の印象は、患者さんに対してとても優しく、温厚な雰囲気だったこと、何よりも先生の治療の手技は見事だった。まるでピアノを弾いているような芸術的な手の動きが目に焼きついている。推拿の治療を初めて目にした私は、薬や医療器具を使わずに人間の手だけで病気を治してしまう事に驚き深く感動しました。治療が終わり、明るい笑顔を見せて帰っていく患者さんの姿を見て、胸が熱くなったのを覚えています。胡先生の治療を受けてから母の症状は徐々に良くなっていったのです。私は胡先生に憧れ尊敬し、先生の繊細で棉のような巧妙な治療をそばで見ているうちに推拿というものに興味を持つようになり、17歳のとき胡先生に弟子入りしました。自分もいつかは推拿医師になりたいと熱望するようになったのです。
中国社会が混乱に陥った時代を経てのち、天津中医薬大学第一付属病院の推拿科医師となりました。その傍、サッカー、卓球、バレーボールなどの試合、陸上競技、重量挙げなどの競技大会の勤務医を担当。また、ラジオ・テレビの健康番組を担当するなど幅広く活動していました。内科推拿と整形外科的疾患等の治療手技の数々はこうして培ったものです。
19歳、中国推拿名医 胡秀章先生と。
22歳、天津中医病院推拿科に推拿医師として勤務。
全国スポーツ大会のトレーナーとしても活躍。
日本の内科医師である永谷義文先生の招きで来日しました。永谷先生は“東京臨床中医研究会”の会長で、天津中医学院を何度も訪れ、中国の漢方薬や鍼灸、推拿を勉強していました。中でも最も興味を抱いたのが推拿でした。永谷先生が推拿に注目したきっかけの一つは私の治療に感動した事です。先生が病院の推拿科で見学していた時に、ぎっくり腰で自力で歩く事も出来ずに担ぎ込まれた女性が、私の1・2分の短い治療で歩けるようになって帰って行くのを見て、その効果に心底驚き、この治療法を是非日本にも広めたいと思う様になったそうです。永谷先生とのご縁が今の東京中医学研究所のはじまりといえます。来日後は城西大学で推拿や気功等を教え、国立リハビリセンターや各地の臨床家等を対象に推拿療法の講演を多数行いました。雑誌寄稿やテレビ出演により推拿を軸に中医学の普及に努めてまいりました。1995年に東京中医学研究所を開設。のちに臨床中医推拿塾を開講し治療家の育成に励んできました。2000年日本文化振興会より社会文化功労賞受賞。2010年中国・天津脊柱医学軟性技術研究員副院長に就任。今も日中の医学交流に積極的に取り組んでいます。
1954年 中国天津生まれ。
1978年 天津中医学院で古典医籍を専攻、中国推拿名医の胡秀章教授に長年師事して内功点穴を学ぶ。天津中医学院で古典医籍を専攻し、中国推拿名医の胡秀章教授に長年師事して内功点穴を学ぶ。卒業後、天津中医薬大学第一付属病院の推拿科医師になる。
1984年 中国中央テレビ局の番組で「自我推拿功」を担当し人気を博す。
1985年 「去病益寿自我推拿法」を出版しロングベストセラーになる。
1986年 天津ラジオ・テレビで活躍し、国際交流TV番組「中国伝説医学シリーズ推拿編」に出演。
1987年 中華医学会会員になる。同年東京臨床中医学研究会の永谷義文医師招きで来日。来日後は城西大学で中医学に基づく推拿療法と日々の養生に役立つ気功を教える傍ら、国立リハビリセンターや各地の治療家等を対象に推拿療法の講演を多数行う。
1989年 「家庭按摩」を出版。
1995年 東京中医学研究所を開設。天津中医学院客員助教授として日中の医学交流にも積極的に取り組む。
1997年 臨床中医推拿塾を開講により全国に多くの人材を輩出する。
2000年 日本文化振興会より社会文化功労賞受賞。
2009年 香港中医脊診整脊学会副会長に就任。
2010年 中国・天津脊柱医学軟性技術研究員副院長に就任。同年推拿整骨院開院し、推拿の治療の手技に活かし地域の皆様に貢献。
現在、東京中医学研究所での推拿施術と臨床中医推拿塾にて治療家の育成に励んでいる。
※推拿療法についてはこちらをご覧ください。